セミ

 先日洗濯物をしようと、洗濯機が置いてあるベランダに出ようと窓を開けた。
サンダルを履こうと下を向くと、目に飛び込んできたのは、サンダルのそばで、白くなった腹を上にしたセミの死骸である。

「きゃー・・・!!」
小さく叫び、窓を閉める。
虫嫌いな私に、あまりにも苛酷なプレゼントである。
しかし洗濯もしなければいけないし、思い返せばGの死骸を処理した経験だってあるのだ。
恐れることはない・・・Gに比べれば・・・いや、でも、私セミもかなり苦手なんだよぉ~・・・
頭は混乱していたが、とりあえずちりとりとほうきを持ってきた。
恐る恐る、出来るだけセミから離れた場所に立つ。
手が届くぎりぎりの所にしゃがみ、ひいいぃと言いながらちりとりをセミに近づける。
こわいこわいこわいこわい・・・!
一人賑やかに怯えながら、ちりとりを持つ手を伸ばし、ちりとりがセミに触れた瞬間、
『バタバタバタッ』セミが暴れだしたのである。
セミは死んでいなかったのだ。

「ぎぃやぁーーーーーーーーーー!!!!」
女の悲鳴が聞こえた、と近所の方に通報されるか若干心配になるような声をあげながら、大げさだが私は失神する寸前の状態になった。

もう無理。
私は涙目で携帯を手に取り、友人にヘルプを要請した。
セミ一匹に情けないと思いつつ、もうセミに近づくことは考えられない。
しかし、放置しセミがベランダに居続けるのも耐えられない。
無事に優しき友人にセミを片してもらったへなちょこ女は、胸を撫で下ろしながらベランダを見つめた。


無事洗濯を終えた衣類を旅行カバンに突っ込み、私は意気揚々と帰省した。
北海道は昨年よりも涼しく、一時の涼しい夏を謳歌し、またこちらに戻ってきた。
ギラギラの太陽、うだるような暑さ。っかー全然違う・・・。
北海道では全く聞こえなかったセミの鳴き声がガンガン聞こえる。
私はふとベランダが気になった。
またセミがいたらどうしよう・・・。
しかし、何かで見たのだが、人間の不安、心配の8割は杞憂に終わるらしい。
そうだ、心配することないさ!


汗をかきながら自宅に入り、すぐクーラーをつける。
まぁ念のため、念のため、ね。
ベランダの窓のカーテンを開け、目の前のベランダの床を見る。
良かった、いない、とベランダの端に視線をずらすと、


「いやぁああああああああああ!!!!」

窓を開ける前で良かった。
さすがにもう一度友人に頼むわけにはいかないだろう。
甘えた女でもそれ位は分かる。
私はとりあえずセミを恐る恐る見つめ、ウネウネ動く脚を確認。
生きてる・・・。

考えに考え、私はクイックルワイパーにティッシュを付け、仰向けのセミの上にかざした。
何度か位置を調節するとセミはそれにつかまった。
落ちませんように・・・と天に祈りながらベランダの外にクイックルワイパーを出し揺らした。
すると、セミは飛んでいき、向かいの家の屋根に止まった。
あぁ最初からこうすれば良かったのだ。

クイックルワイパーを使ったセミの逃がし方を覚え、私はまた一つ大人になった。ような気がする。

いとしや梅




4キロの白加賀青梅は3キロシロップ、1キロ味噌に。
シロップも味噌もまだ口を付けていない。




4キロの飯田小梅は、1キロ醤油漬け、3キロカリカリ梅(1キロずつ違う漬け方)に。
醤油は常温に置いておいたらぶくぶくと発酵してしまい、ぼけた味になってしまった。
冷蔵庫保存にすればよかった。良い醤油だったのにもったいない・・・
初めてのカリカリ梅は、塩のみと、にがりやホワイトリカーも加えたもの、更にそれに砂糖も入れたものと三種類やってみた。
おかげで小さい冷蔵庫の中で大きな存在感を放っている。
一つ食べてみたのだが、すっぱ!しょっぱ!冷たさが歯に染みるぅ~・・・!と一人で賑やかになることが出来た。
ちなみに、にがりを入れずにカリカリ梅を作るやり方で一つやってみたが、にがり入りよりはカリカリにならなかったですね。
複数の梅農家の方のカリカリ梅レシピを頂いたけど、カルシウムの添加にはどの方もにがりを使われていた。
衛生面でも手軽さでも、きっとにがりが一番良いのだろう。





4.5キロの完熟落下の南高梅は赤干しの梅干しにすべく塩漬け(容器寄せ集め)。
ここの農家さんから買うのは初めてで、昨年買った所と比較したくて買ってみた。
が、傷梅が多く、中には腐った部分から虫がうねうねとコンニチワしていて、ひぃいいとなった。
ネットを引いているとは言え、一回下に落ちてるしね。仕方ないのかも。






こちらは昨年もと同じ農家さんの5キロの完熟落下の南高梅。
白干しの梅干しにすべく塩漬け。
ここの梅は本当に良いです。何が良いって、完熟具合もそうだけど、洗ってから送って下さるので、着たら即塩と漬ければOK。
こんなに楽で良いのかという感じ。

以上6月にあれこれやってました。




先日、白干しの梅を干すべく、早起きしようと思っていたら寝坊。
凹みつつ容器を開けるとこんな具合。
私は重石はしないので梅酢にひたひたに浸かるようにはなっていない。
苦労して並べ、注意しながらベランダに出す。



壮観である。



1日目の夕方は梅酢に戻し、また翌朝干して、結構乾いた午後の写真。




4日目の朝、部屋に取り込んだもの。
完成。





容器にびっちり詰める。
一仕事終えた感が気持ちいい。ただ塩漬けしたものを干しただけなんだけどね!


今年もやってしまったなと思う。
ストックしてある分だけでもあと何年かかって食べきれるのかという感じなのに・・・
そして、まだ干していない5キロ程の梅が控えている。

梅干しが特に好きと言うわけではないのに、興味本位で手を出した梅干し作り。
今回で4回目となったが、何故続けているかと言えば、意外に簡単だということと梅の愛らしい見た目のせいだと思う。
塩漬け段階の、丸い小さな黄色の実が、容器に収まっている姿は可愛く、見ていて飽きない。
そして梅を日光に当てた時の。福福(こんな言葉あるのか?)とした景色は何とも言えず、わが子を狂ったように写真に収めまくるお父さんよろしく、何枚も写メを撮ってしまう。


私の作り方なんて中々適当。
まず重石はしないし、干す時なんて、姿見をひっくり返して新聞を敷き、その上に梅布を敷いている。
二回目までは干しかごを使っていたけど、日光が直接当たらなくて良くないと書かれているのを見て、昨年からやってみたら、良い梅だったのもあってか出来上がりがとてもE感じだったので今年も採用。
道具なんて何とでもなるのだと思った。
重石をしないのは、カビがこわいからだけど(それでカビが出たことがある)、一定量の塩分と梅がちゃんと熟していれば問題ないのでこれからもなしで行こうと思っている。


最初、フルーティな甘い匂いを放つ黄色い梅は、最終的にはしわしわで枯れた匂いと色になる。
しかし味は、時間を置くと共に塩の角が取れまろやかで深みのある味に。
梅がどんどん変化していく様子は、人の一生を見ているようだと、ふと思った。

あぁ長くなってしまった・・・

化粧

 ガンガンに化粧をした女子高生を見掛けると、あら勿体ない!と思う。
そんなに化粧をしなくても十分可愛いのに。
というか、むしろ化粧が可愛さを半減させていると感じる。
しかし、ハタと気づく。
これは、いつかの母の目線と同じだと。

私も化粧をするようになってから(何年前かは書かないYO!)、母によく「何その狸目!」や、「けばい!」などとやーやー言われ、その度うるさいなぁ!と反発していた。
私の頃の女子高生の認識(今でも?)は、イケてる=ギャルであったから、普段の服装が違っても、ギャルメイクに走る人が多かったように思う。
私も例に漏れず、学校だけなんちゃってギャルを実行して、化粧をガンガンしていた時期があった。
なので女子高生の気持ちは分かるはずなのに、化粧しなくていいのになぁと今思うのである。
自分はしていたのに。

それにしても、私はギャルメイクが似合わなかった。
きっと顔の造形によるものだと思う。
いつも何か皆と違うなぁと思い、コンプレックスだった。
それでもせっせと似合わない化粧をしていたのは、皆と同じ制服を着て、横並びの美意識を持ってして、人と違うようになるのが恐かったのだろうな。

女子高生を見掛けて昔を思い出し、今の自分はとても楽だわぁと、今日もすっぴんで会社に向かうのであった。
あんなに周りを気にして化粧をしていたのに、社会人=最低限の化粧は必要、というセオリーを無視する面の皮の厚さを、一体どこで身につけたのだろうか?